子どもの頃は、自分が看護師になるとは思ってもいなかった。
夢や希望をもって看護師になった、看護師をしている方々は気分を害さないで貰いたいが、わたしが看護師になったのは、奨学金返済と生活のためだ。
もともと全く別の職種を目指していたが、自分にそこまで才能や胆力がないとわかり、諦めた。
その後、グループホーム職員をしていたが、薄給のため、生活費と奨学金の返済が大変だった。
もっと稼げて、地方に住む独身女でも需要がある仕事につきたいと思い、選んだのが看護師だった。
不謹慎かもしれないが、わたしにとって看護師免許とは、自動車免許と同じだ。
運転するのに免許が必要だから免許を取ったように、少しでも割のいい仕事に就くには看護師免許が必要だから取った。
わたしのような感覚は、さほどめずらしくもないと思う。
例えば、わたしの看護学校のクラスメイト30人を入学動機別に分類すると、以下の3つに分けられる。
① 看護師が子どもの頃からの夢だった、高校からの現役入学者、10人。
② 積極的に看護師になりたいわけではないが、資格があると良いよ〜と、親や高校の担任などに勧められて来た、高校からの現役入学者、10人。
③ 社会人経験者、シングルマザー、公務員試験や一般企業の就職に失敗したなど、生活のために看護師免許取得を目指すオトナ組、10人。わたしもここに含まれる。
子どもの頃から看護師になるのが夢でした! といったタイプは、少数派だった。
わたしが学んだ看護学校は、地方の小規模な専門学校だったため、大学の看護学部とは生徒の層がかなり違うかもしれない。
それでもこの状況は、近年看護師になる人の傾向を、ある程度反映していると思う。
つまり、看護師なることが夢だったという看護師は、決して大多数ではないということだ。
しかし実習に行ったり、実際に就職すると、
「夢を叶えて、大変な仕事についてすごいね」とか、
「好きで看護師になったんだから、患者さんのために頑張るは当たり前でしょ」
といった感じの対応によく遭遇した。
特に、看護学校の教員や、病棟に長く勤めて役職に就いてる看護師はその傾向が強い。
そのため、看護師業界では(医療業界全体にも言えることだと思うが)、好きなことをしてるんだから、仕事のためにすべてを優先するのが当たり前、といった感覚が支配的だ。
その結果、長時間労働やサービス残業、代休もなく給与も出ない休日を潰しての勉強会や委員会、(病院命令の強制的な)ボランティア活動などが横行している。
わたしはそれが無理で、就職した総合病院を3年で辞めた。
わたしのような志の低い、ボンクラ看護師は、早めに去った方が病院のためにも良かったと思う。
しかし、同期で入職した有望な若者数名も、同じよう理由でわたしより前に退職していた。
そうした人材を取り逃がしたくないなら、雇用者である病院側も、もっと看護師を“一般的な労働者”として遇するようにすべきだろう。
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