こんにちは、かずしいです。
コロナ禍で、忘年会や新年会を中止する企業や団体が増えている。
そんな中で、菅首相はステーキ会に出席するし、愛知県西尾市の市議はコンパニオン付きの宴会を開くし・・・・・・。
正直、どうしてそうなってしまうのか、理解不能。
開いた口が塞がらない。
年末年始の稼ぎ時、時短営業を迫られる居酒屋などの飲食業に就く人達には、気の毒だと思う。
しかし、わたしは、居酒屋と酔っ払いが大嫌いなので、地上から消え去っても別に構わない。
というか、わたしは、誰かといっしょに食事をするのが苦手なのだ。
仕事が正社員からパートになって、嬉しかったことの一つが、勤務外の飲み会がなくなったことだ。
「ご飯はみんなで食べたほうが美味しいでしょ!」
と言う人が、たまにいる。
そういう考えは理解できるが、わたしはあまり共感できない。
誰かと、特に大勢と一緒に食事をしていると、落ち着かないのだ。
学校や職場で、環境に強制されているときは、何とか我慢して自分を合わせていた。
しかし、職場の忘年会など、勤務時間外の集まりは、毎回憂鬱だった。
仕方なく参加するのだが、最中はいつも、早く帰りたい、と思っていた。
歓迎会などを開いてくれたときも、相手には悪いが、
わたしを喜ばせたいなら、何もしてくれなくていいのに・・・・・、と思っていた。
世の中は、食事や酒の席を設けることは、相手への慰労や報奨の意味があるらしい。
だからこそ、接待に使われるわけだが、わたしにとっては全く理解不能である。
わざわざ金を払って、他人と食事をしたり酒を飲んだりすることを、大多数の人は楽しいことだと認識しているわけだ。
世の中に、居酒屋や飲み屋が溢れていることから考えて、そういう人の方が多数派で一般的だということはわかる。
わたしのような感覚の人は、少数派なのだろう。
世の中にわたしの感覚に合わせて欲しいとは、全く思わない。
コロナ禍が収束した暁には、やりたい人は毎日宴会を開けばいいと思う。
わたしだって、他の人が幸せでいてくれた方がいいからだ。
ただ、わたしのことはほっておいてくれれば、それでいい。
コメント
たぶんそういう人多いと思うんだが、なかなか市民権をえれないなあ
大手をふって断れないんだよなあ