【4割の仕事は無駄】『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』デヴィット・グレーバー

こんにちは、かずしいです。

『負債論』の著者である文化人類学者、デヴィット・グレーバー氏の著書、

『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店、2020) を読んだ。

著者の調査では、アメリカや西欧諸国などの富裕国では、労働者の37〜40%の労働者が、自分の仕事を無駄で意味がないと思っているとのこと。

そう思っているのは、農業や水産業者従事者、医師や教師、看護師、工場労働者、介護士などのいわゆる現場職ではなく、むしろ政府職員や企業の顧問弁護士、金融業者など、高給でエリートとされる職種についている労働者が大半を占めるという。

ブルシット・ジョブに対する、著者の暫定定義は以下のとおり。

“ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある雇用の形態である。といえ、本人は、そうでないと取り繕わなければならないように感じている。”(本文,25頁)

これって、現代の労働者が、多かれ少なかれ、自分の仕事に対して感じていることではないだろうか。

わたしも、看護師はブルシット・ジョブではないと思う。

でも、特に病棟勤務だったときは、この業務やる意味あるの? 誰のためになるの?と感じるものがママあった。

看護そのものではなく、主に、書類仕事や記録に関してだが。

わたしたちのご先祖様が狩猟採集生活をしていた時代、ブルシット・ジョブは存在しなかった。

彼らの労働の目的は、自己実現とか、社会貢献ではない。

生きること、食っていくこと、だったからだ。

すべての仕事は生存するための不可欠だったし、労働と生活は不可分だった。

科学の進歩や技術革新のお陰で、農業・工業の生産性は飛躍的に向上した。

働くことの目的が食っていくことなら、わたしたちは、もう週40時間(及び残業、休日出勤)も働く必要はない。

経済学者ケインズが、1930年に予言したように、「週15時間労働」でこと足りる。

もはや、ご先祖様の時代とは違い、現代人の大多数にとって、労働=生活ではなくなっているのだ。

労働の目的は、食っていくことだけじゃない! 自己実現や社会貢献の手段でもある!という反論もあるだろう。

しかし、先進国の4割もの労働者が、自分の仕事が無駄と考えている現状では、到底、仕事を自己実現や社会貢献の手段だと言えないと思う。

そんな悲惨な現状を打破するための解決策の一つとして、本書の後半ではベーシックインカムの導入を提言している。

日本を含め全世界で、コロナ禍による都市封鎖や経済の停滞、それに伴う倒産、給料カット、リストラ、失業といった労働問題が顕在化している。

その対応策として、万人に対して政府が必要最低限の生活費を支給するというUBI(ユニヴァーサル・ベーシック・インカム)が、注目を集めた。

著者は、本書では、ブルシット・ジョブをなくすための対抗策として、ベーシックインカムについて論じている。

著者よれば、“ベーシックインカムの究極的な目的は、生活を労働から切り離すことにある”(本文,357頁)

ベーシックインカムが導入されれば、“政府のほとんどの部署ー正確には一般市民を道徳的に監視する役割を重く担っているために、最も介入的で不快に感じられるセクション―が、ただちに不必要となり、端的に閉鎖できるはずである。”(本文、359頁)

それによって、そういう部門の職員は職を失うが、彼らにもベーシックインカムが支給される。

そうなれば、ブルシット・ジョブをする代わりに、自分が心からやりたいと思うことを、自由になんだってやればいいのだ。

また、ベーシックインカムがあれば、生活のために自分の良心を欺き、上司や雇用主のハラスメントに耐えている労働者は、その仕事を辞める自由を得る。

そうすれば、ハラスメントや違法な長時間労働が蔓延するブラック企業や職場は、駆逐されていくだろう。

著者が言う“自由”な世界は、大多数の人々にとっては福音だが、一部の人にとっては悪夢とも言える。

特に、政府や政治家、搾取的な労働で富を得ている雇用主にとっては、人々の生活を質にとって働かせ、従わせる方法を失ってしまうことになるからだ。

また、自由になった人達は、政治や社会問題について関心を示し、考える時間もあるので、あれこれ意見し、行動する人も増えるだろう。

そんなことになったら、日本では、今の議員はほとんど辞職に追い込まれそうだ(笑)

現状で得をしている人々にとっては、

オメーらに自由なんて与えたら、ろくな事をしやがらない。黙ってブルシット・ジョブでもやっとけ!

ということになる。

わたしが思い出すは、中学生の部活動のことだ。

わたしは、学校が終わってまで拘束されるのが嫌で、帰宅部に入って勝手に好きなことをしたかった。

しかし、当時の先生たちや保護者の中には、放課後が自由になると、子供はどうせろくなことをしない。

部活をさせて、監視しとけ、という感覚のオトナの意見が主流だった。(今はどうなのかな?)

そのため中学校は帰宅部がなく、しかたなく美術部に入部した。(ほぼ幽霊部員だったがw)

なんという子供に対する、信頼のなさ。

仮に、ろくでもないことをして失敗しても、最悪の事態から子供を守るセーフティーネットが整備されていたり、それを経験として子供が成長したり、復帰する余裕がある社会の方が、わたしは豊かだと思うのだが。

そんなわけで、現状権力を持っている側からすれば、ベーシンクインカムを実現しても、利点がない。

(たとえ、それで政府関係者を含め、多くの人が幸福に生きられるとしても)

未来のことはわからないが、とりあえず、わたしが生きている間に実現することはないかも、と思う。

ブルシット・ジョブも、引き続き蔓延り続けていくだろう。

わたし個人の微々たる抵抗として、せめて労働時間をどんどん減らして、ブルシット・ジョブを可能な限りせずに、生きていきたい。

まあ、実はそこまで高尚な主張があるわけでないけれど。

わたしの場合は、単に怠け者だから、働きたくないだけだから(笑)

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