【漫画・勝田文】『風太郎不戦日記』を読んでみた

こんにちは、かずしいです。

先日、漫画『風太郎不戦日記』(原作・山田風太郎、漫画・勝田文)を読んだ。

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わたしはテレビをほとんど見ないのだが、同居している両親はテレビっ子世代。

母の毎朝の日課は、「あさイチ」を観ることだ。

その前番組である「NHKニュース おはよう日本」の8月17日の放送内で、

忍法帖シリーズで有名な山田風太郎先生が昭和20年に綴った『戦中派不戦日記』を、

漫画家の勝田文先生がコミカライズした、『風太郎不戦日記』の特集があった。

わたしはその番組を見ていないのだが、番組を見た母から、おもしろそうだったよ

と話を聞き、調べてみた。

母は、山田風太郎先生と勝田文先生、どちらの名前もうろ覚えだったので、

二人で適当なキーワード検索をして、『風太郎不戦日記』に辿り着いた。

勝田文って、どっかで聞いたことあるなー、と思ったのだが、著作を調べてみて、

以前『マリー・マリー・マリー』を読んだことがあったのを思い出した。

『マリー・マリー・マリー』は、主人公の鍼灸師・リタちゃんと、

その夫でブルースギタリスト・森田さん夫婦の、ラブコメである。

この作品で、主人公・リタちゃんの愛車が、ミニ・クーパーだった。

わたしは、車は前に走ればいいと思っている派で、愛車は中古の軽だ。

そんなわたしでも、ミニ・クーパーは世界で一番デザインがカッコイイ車だと思っているので、

そこが個人的にツボだった。

作品から、勝田先生のもつ、古いものや、ちょっと不便なものへの愛おしさが伝わってきて、

何気ない日常の暮らしを丁寧に描いている姿勢が、なんかいいなあと思った。

リタちゃんが酔っ払って、その勢いで菜の花のからし和えを作るシーンがあるのだが、

思い出して、からし和えが食べたくなってきた。(今は夏だから、無理だw)

ラブコメを描いていた少女漫画家さんなので、勝田先生ご自身も、

『戦中派不戦日記』の漫画化の依頼が来たときは、自分にできるのか戸惑ったそうだ。

でも、実際に原作を読んでみて、自分が大切にしているものとの共通するところを感じ、

依頼を引き受けたらしい。

わたしは山田風太郎先生の原作は未読だが、母の話を聞いて漫画を読んでみたくなり、

楽天でポチった。

そして一昨日、配達された次第である。

読んでみて、勝田先生にコミカライズを依頼した編集者さんは慧眼だな、と思った。

戦争末期の東京という、ともすれば重くなりがちな時代の話だが、

時代考証を丁寧に行った、しかし、勝田先生らしいシンプルな線と

デザイン的な造形の絵のおかげで、いい感じに軽やかになっており

原作に馴染みのない人でも、違和感なく読み進めることができる。

ネタバレがあまりないように書くが、気になる方は、ここからは読み飛ばしてほしい。

舞台は、敗戦の色がいよいよ隠せなくなってきた、昭和20年の東京。

主人公は、まだ作家を志す前の、23歳の医学生だった山田風太郎青年である。

彼は、肋膜炎を患ったため兵役を免れ、義父で医師である叔父の勧めで、医学生となった。

兵士にはなれない、かといって医師になるという確固たる気持ちももてないまま、

宙ぶらりんな日々を送っている。

そんな彼の閉塞感と、長引く戦争による物資・労働力不足で、社会機能が麻痺しつつあり、

加えて激しさを増す空襲で、焦土と化していく東京の様子がそのままリンクしているかのような、

重苦しい空気に満ちている。

そんな、どこにも逃げ場のない、希望が見えない暗闇の中に、しかし、

時折とても小さく、微かに、けれども暖かく輝くものがある。

それは、食事や入浴といった日常の営みだったり、映画や文学や演劇といった芸術の尊さだったり。

第一巻の終盤で、風太郎青年は、かつて中学生の頃読んで感動したゴーリキー作『どん底』

の文庫本を誤って踏んでしまい謝る下宿先の奥さんの弟に、こう返答する。

 いいんだ 今の世の中 そんなもの なんにもならん・・・  なんにも・・・

しかし、その後、友人から譲られた券で観に行った歌舞伎で、

衣装や舞台も満足に用意できず、空襲で団員に多くの犠牲者を出しながらも、

舞台に立ち続ける六代目尾上菊五郎からの、

 殺気だてる人心を柔らげたるは芸術にしかず 

という言葉に、こころ打たれる。

文学も舞台も、そして漫画も、戦争という巨大な暴力と破壊の前には、

なんの役にも立たないものかもしれない。

自分の住む街や学校、学友たち、日々の営みそのものを破壊されながら、

自分の無力さ、芸術の無力さに打ちのめされながら、

それでも、風太郎青年は、芸術の、表現のもつ、人間を救う力を信じているように思う。

それは、後に人気作家となった山田風太郎先生が、信じ続けていたことだったのではないだろうか。

そして、勝田文先生は、そこに共感を抱いたのではないかと、1巻を読み終わって思った。

戦時の日記ということで、抵抗感を覚える人もいるかもしれないが、

そういう人にも、あまり身構えず読んで貰いたい。

戦時下の庶民の暮らしを知って、へーっと発見があるのも楽しいし、

コロナ禍で、誰しも閉塞感を抱えている今、戦時下を生きる風太郎青年の心境に、

共感を持って読める部分も大きいと思う。

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