「無職の罪悪感」なんて必要ない。

こんにちは、かずしいです。

わたしは現在、無職である。

以前も、何度か無職だったことがある。

無職のだったとき、

「収入がないから、今月家賃がやばい!」

「また仕事探さないと、めんどくせ」

「働きたくないなー」

などと思ったことは多々あるが、「罪悪感」を感じたことはない。

現在は、豆粒だが資産もあるので、当面の生活の心配がないから、暢気な無職である。

わたしにとって、無職である心配=カネがないことへの心配、だからだ。

しかし、世の中には、生活できているのに、無職であることに「罪悪感」を抱く人もいるらしい。

主婦(主夫)の方々にも、働いていない「罪悪感」を感じる人もいるそうな。

いやいやいや、主婦(主夫)って家事とか、子育てとか、介護とかして、働いてるじゃん!

と思うのだが、彼らの言う「働く」=「カネを稼ぐ」ことなのだろう。

「働く」って、単にカネを稼ぐことだけでなく、もっと広い意味があると思うのだが。

話は変わるが、死の受容プロセスの研究者として著名な医師、キューブラー・ロスによると、

人間が生まれ持った本能的な恐怖は、

・高いところから落下する恐怖

・大きな音に対する恐怖

の2つしかないらしい。

それ以外の恐怖はすべて、成長の過程で、主に親から伝えられた、後付の恐怖である。

ということは、「無職の罪悪感」も、本来的な恐怖ではないことになる。

これは、自分が子供だったときのことを考えてみれば、納得がいく。

未就学児の時に、

「働いていないのに生きているなんて、親や社会に対して申し訳ない・・・」

「働いていない自分になんて、生きている価値がない・・・」

などと思ってはいなかっただろう。

(思っていたとしてたら、その人の家庭環境が心配だ)

では、なぜ親(及び社会)は、「無職の罪悪感」を(おそらく親自身も無自覚の内に)子供に植え付けるのか?

わたしが思うに、それは「無職の罪悪感」を抱かせることで、都合の良い人たちがいるからだ。

資本主義社会は、自身を奴隷化する労働者を大量に必要とする社会である。

参考:『隠された奴隷制』植村邦彦

そんなブルシットな社会で、企業が労働者を確保するためには、人々が働いていないことに罪悪感を感じてくれる方が望ましい。

「働くなんて、辛気くせえ」

という、江戸っ子のような価値観が大手を振っていたら、ワ○ミも電○も、労働者の確保が難しくなるだろう。

同じように、「親孝行」という概念も、親にとって都合が良い概念だ。

毒親は、「親孝行」の概念で、子供に「罪悪感」を抱かかせ、子供を支配する。

この関係は、ブラック企業と、使い捨てられる社員の関係に似ている。

ブラック企業をなかなかやめられない社員の中には、

過重労働、長時間労働、パワ・モラ・セクハラで思考力を奪われていることに加えて、

「せっかく雇ってもらったのに、会社に申し訳ない」

「低賃金も長時間労働も、仕事ができない自分が悪い」

といった、「罪悪感」に縛られている人が少ないない。

そこに、

「せっかく就職できたのに、辞めたら親が悲しむ」

という親への「罪悪感」がミックスされると、最凶の呪縛になる。

わたしはろくでなしなのではっきり言うが、「罪悪感」を基準に何かを決めることは間違っている。

自分自身に「罪悪感」抱く必要なんて、そもそもない。

大人になったって、子供のころのように、無条件で自分を認めて生きていていい。

無職はカネがないという点で困ることだが、それだけのことだ。

別にカネがなくたって、誰かの扶養されたり、資産があったりして生活できるなら、それでいい。

「無職の罪悪感」など必要ない。

勝手にさせろ、という話だ。

わたしが賃金労働するとしたら、それはカネのためだ、と明言しておく。

コメント

タイトルとURLをコピーしました